1月の法話集 ~蓮華の花は極楽の花~


仏教では蓮華の花をとても大切にします。ご承知のように蓮は泥沼に根を持ち、茎は泥水の中をくぐり、そして、あの美しい花を咲かせますが、全く泥に染まることなく、清らかです。仏様の教えも同じです。この世は煩悩と汚れに満ちているけれど、その中にあって悟りを得ること、つまり汚れに負けることなく、なじむことなく、真実の道、み仏の示された道を行くこと。それは泥沼に咲く蓮の花のようですね。こんな詩がありました。
はきだめにエンドウ豆咲き
泥沼に蓮華の花が咲く
人みなに美しき種あり
明日は なにが咲くか
蓮の花は、仏様の教えを代表する象徴的な花として、仏教徒が大切にしてきました。「一蓮托生」という言葉がありますね。今では最後まで行動を共にするという意味で使われていますが、本来は、ともに極楽世界に咲く同じ蓮の上に生まれることを意味しているわけで、この世において善行を積み、ともに極楽へまいりましょうという、祖先の思いが込められていたのですね。仏像を拝すると分かりますが、台座の多くは蓮華座と言って、蓮の花を形取ったものです。蓮華の花は極楽の花とされていますが、泥沼に咲きながら汚れを知らないその姿は、この世においても、一人一人が蓮の花を咲かせなさいと教えています。



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