1月の法話集 ~苦悩のふるさとは忘れよ~
私たちは人生において一度や二度、取り返すことのできない失敗を起こし、そのことが時を経ても心から離れず、慚愧の念が高まり、ついには人生に絶望することも少なくありません。私の知人A君もその一人でした。交通事故を起こし、相手は即死。その一瞬から加害者としての重荷を背負うことになったのです。亡くなった方の生命は、取り戻せません。A君はできるかぎりのことをして誠意を示しました。祥月命日には欠かすことなく花や線香、お供物を持参して仏前にお供えし、ただただ深くお詫びするばかりでした。被害者の家族も、A君の誠意をみて、だんだんと心を開いて、笑顔で話ができるまでになったのでした。しかしA君は日が増すにつれて、苦しみは大きくなるばかり。死ぬまで心安らぐことはないのだと決めつけ、心ふさぐ日送りとなったのです。そんなある日のこと・・・、
”苦悩のふるさとは忘れよ”の言葉に出会います。
これは親鸞上人の言葉です。苦しみの思い出しかない故郷なら捨ててしまいなさい、とのお示しですが、今一歩深く考えると、いつまでも悩み苦しんでいるのではなく、それから脱出して身も心も蘇らせて、新しい人生を踏み出しなさい、という教えに他なりません。A君は決して加害者であることを忘れたり、時とともに懐かしんでいたりはしません。
今も祥月命日にはお線香をお供えします。ただ「苦悩のふるさとは忘れよ」の言葉に出会ってからのA君は、見違えるように元気です。
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