1月の法話集 ~何を人々に配達できるか~
高見順さんがこんな詩を残されています。
なにかおれも配達しているつもりで 今日まで生きて来たのだが
人々の心になにかを配達するのが おれの仕事なのだが
この少年のように ひたむきに おれはなにを配達しているだろうか
お早う けなげな少年よ 君は確実に配達できるのだ
少年の君はそれを知らないで 配達している
知らないから配達できるのか 配達できるときに配達しておくがいい
高見順さんは、この詩をガンと闘う病床のなかでつくられたのでした。毎朝、同じ時間にきちんと新聞を配達してくれる少年をたたえてうたいながら、その反面自分は今日まで生きていながら、何を配達してきたのだろうか? と振り返っておられます。たしかに新聞配達の少年は、新聞を配達することにより報酬をいただいているのでしょうが、私たちは知らない間に、気づかないうちにどれほど多くの配達を受けていることでしょうか。何らお礼をしたり、報いたりしないで配達されたものをいただいていることでしょう。いつでもどこでもだれにでも、何かを配達できる人間、配達している人になりたいと仏さまも教えられています。仏教ではこのことを「布施行」といいますが・・・・・。高見順さんは病のなかで、配達したくてもできない自分をさびしく思いながら若い人々に語りかけています。"配達できるときに配達しておくがいい"と。
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