3月の法話集 ~”ただ生きる”から”よりよく生きる”へ~



かの哲学者ソクラテスが、無実の罪で投獄され、いつ訪れるとも知れぬ死刑執行の日をじっと待っていたある日のこと、親友のクリトンがやってきて申しました。
「脱獄の準備を整えたから、すぐさまここから出るのだ!さあ、早く。君はここを出て、生きながらえるのだ!」
親友の申し出にソクラテスは答えます。
「クリトン君、君の温かい志をどれほどうれしく思うことか。ほんとうにありがとう。けれど脱獄計画はすぐ中止してほしいのだ。」
「ソクラテス、なぜだ、このままでは死んでしまうのだぞ!」
「クリトン君、人間はだれでもいつかは死ぬのだ。それがわかっているからこそ、私たちがいつも考えなければならないことは、死をまぬがれようとすることで はなく、与えられた生の時間を、どうしたら最もよく生きられるかということだ。大切なことはね、ただ生きることではなく、よりよく生きることなのだ。そう なのだよ。だから、”ただ生きる”ことから”よりよく生きる”へ考え方を変えてくれたまえ。あのがとうクリトン君、さようならクリトン君。」
こういい残してソクラテスは死を選んでいきました。”ただ生きることではなく、よりよく生きることだ”・・・かみしめたい言葉ですね。
仏さまの教えにも、”徒(いたず)らに百歳生けらんは恨むべき日月(じつげつ)なり、悲しむべき形骸(けいがい)なり”とあります。 ”たとえ百歳まで生きても、修行の伴わない人生ならば時間もむなしく、いただいたこの身体ももったいないではないか。この世に生を受けたということは、ただ生きるのではなく、よりよく生きることにほかならない”と教えられています。



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