3月の法話集 ~娑婆と極道~


『塀の中の懲りない面々』という小説が、テレビドラマや映画になって人気を得たというので、その原作となった小説を読みました。刑務所というほとんど知ることのない世界が、作者の体験を通じて軽妙に描かれており、おもしろく読んだのですが、そのなかでときどき出会うのが、”娑婆”と”極道”という言葉です。まあ、ヤクザ映画ならつきものの言葉ですが、実はこの言葉、二つとも仏教語なのです。
まず極道。「あいつは極道じゃ」などと、悪事や放蕩にふける人のこと、またヤクザのことを指して使われますが、字を見ると極める道と書くように、仏教用語で「道を極める」と読むのです。何の道を極めるのか・・・。それは申すまでもなく、仏さまの道です。極道とは、仏道を修行して仏さまの世界へ到達することにほかなりません。思えば、ずいぶん意味が違ってしまったものですねぇ。
次に娑婆。刑務所の中で囚人たちが「娑婆に出たら一番先に何やりてぇ・・・」などと、まるで極楽世界に行くかのように使っていますが、娑婆という言葉は 決して何でも好きな事ができるありがたい世界をいうのではなく、むしろ苦しみを耐え忍ぶ世界を意味する仏教用語なのです。古いインドの言葉 ”サハー”が音訳されたもので、”私たちはこの世界に生きるには、じっと苦しみに耐えねばならない。この世は忍土である”というのが、娑婆の本当の意味ですから、これまた一般的な使われ方と違っていますね。
この世は”苦しみを耐え忍ぶ世界”と受け取って、それだからこそ仏道を極めることにより仏の世界へ渡ることを目指して生きる-この生き方こそ、仏教徒の理想的な歩みです。娑婆と極道はヤクザ用語ではありません。



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