3月の法話集 ~彼岸はどこにある ~三途の川と六文銭~~
Kさんはお彼岸を迎えて、お寺巡りをしました。しかしお参りを済ませても、どうもあるわだかまりが消えないというのです。そのわだかまりとは、”彼岸はどこにあるのだろう?彼岸なんて、お坊さんがつくり出したものじゃないのか”ということです。そんなKさんにお話をしました。
「Kさん、お父さんが亡くなったとき、三途の川の渡し賃として六文銭を用意しましたね。単に習慣にすぎないと思われたでしょう。でもこれは理にかなってい るのです。三途の川の意味は、貪(とん)、瞋(じん)、痴(ち)の三毒といいましてね、貪とはむさぼり、瞋とは怒り、痴とは愚痴で、この三つの毒のことを いうのです。そしてこの毒におぼれている以上、仏さまになれないとの教えです。そこでむさぼり、怒り、愚痴の川を渡るには六文銭が必要だというのです。六 文銭とは、仏教の教えの中の六波羅蜜(ろくはらみつ)のたとえで、六波羅蜜とは、迷いのこちら岸(此岸(しがん))から悟りのあちら岸(彼岸)へ渡るとい うことで、具体的には悟りを得るための六つの修行をいうのです。
一は布施、施しをする、二は持戒、戒律を守る、三は忍辱(にんにく)、苦しみに耐える、四は精進、何事も怠らずに励む、五は禅定、心静かに乱さない、六は智慧(ちえ)真実の教えに目覚める・・・という六つの修行です。
この六つの修行を六文銭にたとえました。ですから三毒という三途の川を六文銭という六つの修行によって渡ってしまうということ、それを成し遂げるのが彼岸の意味です。こうしてみると、お彼岸は亡き人へのご供養とともに、生きている私たちにとっても学ぶべき点の多い行事です。つまり、この世においてこそ彼岸へ渡らねばならないのですね。Kさんも早く彼岸へ渡ってください。」
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