3月の法話集 ~ただ誹(そし)られるのみの人~
最近はマスコミが発達していますから、どんな事件でもたちまち日本全国へ伝わってしまいます。伝わるが早いか賛否両論、個人に対してでさえ容赦しません。それは身近な地域社会でも同じです。
Aさんは、小学校の先生を長くお勤めになり、この度、教頭先生におなりになりました。たいへん人気のある先生です。私は、このお話をお聞きしたとき、ある日、先生に時間をいただいてこんな話をしました。
お釈迦さまがお弟子たちと説法の旅を続けておいでのころ、ある村では誰もがお釈迦さまのことを良く言わないのです。どうも、その土地に長くからいる行者があれこれ、あらぬウワサを流しているらしいのです。お釈迦さまのお弟子はガマンならないと、その行者のところへ抗議に行くと言うのです。その時、お釈迦さまは、お弟子に向かって次のように申されたのでした。
「ただ誹られるのみの人、また、ただほめられるのみの人は、過去にもなかったし、未未にもないであろう、現在にもない」と。
私たちの一生の間、さまざまなことがありましょうが、お釈迦さまが言われるには、誹られるのみ、というのですから悪口ばかり言い続けられることもないでしょう。また、かといって、ほめられっぱなしもあリ得ない。そんなことは過去にも未来にも現在にもないとのお示しです。どうぞ、気苦労がたくさんおありでしょうが、そんな時の参考に……。
いやはや、よい言葉を教えてくださったと、教頭先生、手帳にメモをして帰られましたが、まさにお釈迦さまのおっしゃる通りですね。いずれにしても周囲の挑発に乗ることなく、誹られても、ほめられても、心おちつけて、自らをみつめながらの人生でありたいものです。
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