3月の法話集 ~借金を返せない時の心~
私たちは、何かさしせまった難問にぶつかると、どうしても精神的混乱をおこし、そこから逃げよう、逃げたいという気持ちが働くものですね。中国の大慧禅師(だいえぜんし)が教えるところでは・・・・・。
「難問にあったら、千万貫の借金をして、一文の手持ちもないのに、返済を迫られているときの心になれ。」
と言うのです。つまり、ギリギリに迫られて後がないわけです。ああでもない、こうでもないと、逃げも迷いも通用しない。
ですから言いわけもできない、自らの非を認め、たとえいやな相手でも、素直に頭をさげるより他にないわけです。心の中で言いわけをしてもだめ、見せかけであればすぐにバレてしまうでしょう。
一言でいえば、ここ一番という時逃げださない肚(はら)のすわりが次の道を開くのです。この、せっぱつまった運命に肚をすえる以外にないと自覚したとき、その姿に、その声に人の心を動かす不思議な力がみなぎってくるのです。飢饉で苦しむ親子に「米を買いなさい」と薬師如来像の光背、背中の光の輪の部分を作るための材料を与えたのは栄西禅師です。仏さまの一部を乞食男に与えるとはとんでもないと大さわぎする人々に対して、
「仏さまのからだを、私の判断で与えたことは地獄におちる大罪であるから、この罪によって地獄におちることを覚悟している。」
と禅師はきっばりと言われました。罪は罪として背負って行く覚悟あっての栄西禅師の行いだったわけです。ひとは逃げている限り、肚はすわりません。
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