3月の法話集 ~ぼちぼちが一番~
近ごろ、炭を燃料として使うことは、まずなくなりましたが、それでも〝炭焼き″を職業としておいでの方はまだまだいらっしやるようですね。
先日、小さな酒場でお会いしたAさんもその一人でした。十三歳のときお父さんから炭焼きを受け継ぎ、いま七十三歳ですから、何と六十年も炭を焼いてきたことになります。杯を持つAさんの大きな掌、太い指、爪は黒く汚れていますが、決してきたなくはありません。飲むほどにAさんが語ります。
「わしゃ、この背中に炭俵をどれだけ背負うてきたかしれんけども、徳川家康のように、重荷を負うて遠き道を歩むなどと思ったことはないぞ。この世に生まれさせてもろうて、炭焼きという仕事もろうて、ありがたいことじゃとばかり思うてこの道をきたんじゃ。わしゃ、一度も急ぐことせんじゃった。他人はグズだと思うたろうが、わしゃ、ぼちぼち、ぼちぼちと歩いてきた。ぼちぼちが一番よいと思うとる。」
〝ぼちぼちが一番″、いい言葉ですね。Aさんは、ぼちぼち、つまりゆっくりではあったけれど、確実に前に向かって一歩一歩歩いたのですね。ぼちぼちだったからこそ、六十年もの間、炭焼きひと筋にこられたに遠いありません。私たちは、いま早く早く、早いことがよいことだと信じて生きているのではないでしょうか。けれど、早いことはほんとうによいことなのでしょうか。
人知れず山奥で炭を焼くAさんは、ゆったりとした時間のなかに身を置いてぼちぼちと生きてきました。Aさんは炭を焼きながら、自らの大切な生命をも燃焼してきたに遠いありません。ぼちぼちが一番、と生きるAさん、早く早く、急げ急げと生きる私たち。どちらがほんとうに時間や生命を大切にしているのでしょう。
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