4月の法話集 ~草を取りながら~


春の日ざしのなかで、そろそろはびこり始めた雑草の草取りをします。枯れてしまったかと思った草たちが、寒く冷たい冬を地面のなかで過ごし、どっこい力強く、たくましく生きて青々と茂る様を見ていると、何だか根こそぎ取ってしまうのが、かわいそうな思いさえしてきます。
昔、博多に仙厓さんという有名なお坊さんがおいでになりました。ある日お檀家のおばあさんが訪ねると、仙厓さんが一心に草取りをなさっています。
「まあ、和尚さん、何をしとりますかいのお。」とおばあさん。
「草を取っとります。」と仙厓さん。
するとおばあさん少々ムッとして、
「そげんことはわかっとりますばい。」
そこで仙厓さんが、
「わかっとったら聞かんでもよか。」とひと言。また黙々と草を取っています。
おばあさんにしてみれば、何も仙厓さんともあろうお方が草取りなどなさらなくてもいいのではありませんか、若いお坊さまかお檀家の人に頼まれたらよいではないですかとの気持ちで「何をしとりますかいのお」といったのでしょう。また、何か草取りをしなければならないようなわけでもあるのではないかと考えもしたのでしょう。
さて、仙厓さんの申された言葉を味わってみますと、〝私は、ただ事を取っているのです。わけも意味もない。ただ事を取る。そのことのなかに、自分のすべてを投げ込んでいる。そして、いま私は自然と一体になり、あるがままの姿でここにいるだけのこと。ただ事を取っているのです″ということになりましょう。
〝ただ草を取る″の〝ただ″の一語を味わってみたいものです。



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