6月の法話集 ~おはよう、お元気ですか~
あなたは朝起きたとき、家の中の人たちに、「おはよう」と挨拶をしていますか。自分は父親だから挨拶は受けるべきだ、と考えて自分からはしない。お母さんは朝ご飯の仕度に忙しい。子どもは両親がしないから何となく。こうして朝の挨拶が家の中から消えてなくなっていませんか。
次のようなお話をあるご婦人から聞きました。
「私は四人家族ですが、大学受験に失敗した長男が暴力を振るいはじめ、襖は破れ、じゅうたんはナイフで切り裂かれという具合で、三年前に苦労して新築した家が見るかげもなくなってしまいました。一時は息子を殺して私も死のうとまで思いつめましたが、どうせ死ぬならもう一度だけ、私だけでも明るい気侍ちになろうと決心しました。
そうして朝、みんなに大きな声で「おはよう」と言いました。もちろん誰の返事もありません。でも不思議にその日は、口喧嘩はありましたが、暴れたりはしませんでした。
それが十目目ころから小さな返事が返ってくるようになったのです。それから半年余り、今では皆も『おはよう』と言いますし、笑い声も時々出るようになりました。この前の日曜日襖を張りかえました。」
たった一言の挨拶が、一家を破滅の淵からはい上がらせました。もちろん、ただ「おはよう」だけで立ち直ったのではないでしょう。しかし、お互いの閉じた心が開き、通いはじめたことは事実です。
けじめのない家庭は、ただ人間の集まりに過ぎません。挨拶はけじめです。そしてけじめは同時に礼儀です。その一番はじめが「おはよう」の挨拶というわけです。だから明るい家庭には必ず挨拶と礼儀が行われています。
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