6月の法話集 ~お寺の石段~
お寺巡りの大好きなNさんがやってきていいました。
「私はお寺巡りが好きで、全国のお寺を訪ねていますが、一つだけ気に入らないことがあります。どうしてお寺には石段が多いのですか。私たち老人にはひと苦労ですよ。登ったら、また降けなければならないし……。」
ほんとうにお寺には石段が多いですね。いえ、石段を登らないとお寺にたどり着かないのです。石段があるということは、高いところにお寺があるということですから、お寺の石段は単にお寺に行き着くための道路の一部なのでしょうか。
そうではありません。
お寺の門をくぐると、この一瞬より世俗を離れてみ仏のおいでになる清らかな世界に上っていくのです。そのためには、石段を一段一段上りながら、日ごろの生活で身と心に積った塵や埃を払い落とさねばなりません。一段一段踏みしめて、み仏の位へと上っていく修行であるとの意味がこめられているのが、石段なのですね。石段を登ってお寺にたどり着き、み仏に参拝することになり、身も心も洗い清められます。しかし、また現実の生活のある世俗へ戻らねばなりません。そのた めにまた石段を降りるのです。清らかな心で、聖なるみ仏の世界から世俗なる日常の生活へ再び戻る道という意味も、石段にはこめられているのですね。
石段のあるお寺にお参りされたら、ゆっくりと一歩一歩石段を踏みしめて登ってください。一歩ごとに、知らず知らずに身心についた塵や埃が落ちるでしょう。日々の生活のなかで無意識に犯した罪やけがれが洗い流されるに違いありません。
じっと聞いていたNさんがいいました。
「お寺の石段はひと苦労などと失礼なことを申しました。大切な修行の道だったのですね。」
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