9月の法話集 ~泥多ければ仏は大きい~


中国に"泥多ければ仏は大きい"という格言があります。日本で参拝する仏さまは木彫や金仏が多いのですが、中国では塑像といって、材木で芯を作り、その上に泥を塗り重ねて造った仏さまが多く、そこから"泥多ければ仏は大きい"という言葉が生まれたのです。
中国では、努力して多くの泥を集めれば、それだけ大きな仏さまができるのですよ、と努力精進を教える格言となっているようですが、受け取り方によっては、とても味わい深い言葉だと思います。
お釈迦さまは、私たち人間は生まれながらにして、仏さまになる種を宿していると教えられました。人として生まれて、人生を歩む中、さまざまな苦しみに出会いながらも、仏さまになる種を育て、はぐくんでいけば、必ず仏さまになれるのですよ、と教えられています。中国の格言にいう"泥"とは、私たちが仏さまになるために出会う、さまざまな苦しみのことではないでしょうか。
日々の生活の中で、大きかったり、小さかったり、さまざまですが、誰でも、苦しみに出会います。時にはあまりの苦しさから絶望してしまうことさえありましょう。
そんな時、この苦しみこそ、自分自身が宿している、仏さまになる種を育て、花開かせる大切な"泥"なんだ、その泥を自らの手で仏に変えるのだと考えたらどうでしょう。
どれほど多くの泥という苦しみがあっても、必ず、み仏の世界へ生まれ変わることができるのだと確信すれば、苦しみは百八十度転回して喜びにも変わるのではないでしょうか。
"泥多ければ仏は大きい"という格言、こんなふうに味わってみてはいかがでしょうか。



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