9月の法話集 ~修行は日常にある~


中国は唐の時代に趙州従?(じょうしゅうじゅうしん)という有名なお坊さんがおいでになりました。あるとき、従?さまのもとへ若い修行憎がやってきて問いかけます。
「どうか修行の心構えをお教えください。」
すると従?さまが問い返しました。
「お前さん、朝ご飯のお粥はいただいたか。」
そこで「はい、いただきました。」と修行憎が元気よく答えると、
「じやあ、お粥をいただいたお鉢を洗っておきなさい。」
とひと言いい残して従?さまは去っていきました。
またあるとき、別の修行憎が従?さまに問いました。
「悟りを開いた人とはどんな人ですか。」 従?さまが答えます。
「まさにおおいに修行する人のことをいう。」
すると修行憎はつづけて、
「従?さまも修行をされますか。」
と問いました。
これに対して従?さま、「着物を着たり、ご飯を食べたりするよ。」とサラリと申されました。彼は"なあんだ"といわんばかりに再び問い返しました。
「それは日常的なことです。従?さま、修行とは何ですか!」
この問いに対して従?さまの答えは、「お前さん、わしは毎日何をしていると思うのかね!」のひと言でした。
つまり従?さまは "着物を着たり、ご飯を食べたりするほかに、どこに修行などというものがあるのかね、修行とは、朝の挨拶から、洗面、掃除、食事をいた だく、それぞれ一挙手一投足に心がこもることであって、特別の行いを指しているのではないぞ!" と教えられたのですが、修行と日常生活を別のものと見てい る若き修行憎には、まだわからなかったのですね。



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