9月の法話集 ~六十・七十は鼻たれ小僧~
明治大正の実業家、渋沢栄一翁の名言に「四十・五十は鼻たれ小僧」というのがありますが、まさに渋沢翁が九十二歳の高齢で亡くなるまでの業績を思えば、言葉どおりの気迫が伝わってきます。
さて、昨今の平均寿命の延長から言いかえるならば、さしずめ、「六十・七十は鼻たれ小僧」ということになりましょうか。六十・七十が鼻たれ小僧ということになれば、このあたりの年齢のみなさんは、「お年寄りを敬いましょう」などと言われて、ニコニコなどしてはおられませんね!まだ、小僧なんですから。これから一旗も二旗もあげるため、苦労をいとわず、修行をきらわず、目標をたて、その実現に向かって全力を尽くさねばなりません。
お釈迦さまは八十歳の生涯の終わりまで、衣一枚を身にまとい、ただただ説法の旅を続けられました。多くの人々に仏さまの教えを説くのだという大目的を実現するためにです。
今でも、お坊さまは長寿の方がたくさんいらっしやいます。お釈迦さまと同じように仏教興隆という目標に生涯をかけておられるからでしょう。
敬老の日。多くの人々がお年寄りを大切にしたいと思っています。その気持ちは、お年寄りのお一人お一人が、年齢に負けることなく、新しい目標に向かって生きておられる姿を拝見すればするほど、強くなるのです。
六十・七十は鼻たれ小僧。
ちょっと失礼な言い方かも知れませんが、その意味をどうぞ、かみしめていただきたく思います。
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