9月の法話集 ~お経の言葉あれこれ~


「お経なんて、何をいっているかちっともわからない」という方がいらっしやいますが、耳から聴いているかぎりでは、まさにチンプンカンプンですね。
ところがみなさんは日常生活のなかで、けっこうお経の言葉を使っているのですよ。たとえば「今度は絶対に敗けないぞ」といったときの〝絶対″という言葉はお経のなかから出た言葉です。
「ああ……できれば安楽にいかせてあげたいと思います」……〝安楽″もお経の言葉。
「いえいえ、私は一つの方便として申しあげたまででして」……この〝方便″も元の意味と違って使われているようですが、お経の言葉ですね。 いつでしたか五つ子ちゃんが話題になりましたね。五人元気に大きくなったと聞いていますが、五つ子ちゃんの名づけ親は、京都の有名なお寺清水寺のいまは亡き大西良慶貫主(かんしゅ)でした。
『観音経』の一節に 「観音妙智力(かんのんみようちりき)」とありますが、このなかから妙を取って妙子(たえこ)ちゃん、智を取って智子(ともこ)ちゃん、また「福聚海無量(ふくじゆかいむりよう)」の一節から、福を取って福太郎君、聚を寿(ことぶき)という字にして寿子(としこ)ちゃん、海という字を太平洋の洋にして洋平君とされたのです。思えば五つ子ちゃんたちは、生涯いくたびとなく『観音経』の言葉を唱えたり、呼びかけられたりして生きていくわけですから、大西良慶貫主の願い通り、観音さまのご加護をいただいて幸福な道を歩むに遠いありません。
「あいつは唯我独尊(ゆいがどくそん)だからなあ」などと、協調性のない人を非難する人がいますが、この『長阿含経(ちようあごんきょう)』というお経に出てくる〝唯我独尊″とは、自分だけが尊いという意味ではなく一人一人の人間の尊さ、つまりすべての人々の尊さをいっている言葉ですが、こんなむずかしいお経の言葉が日常使われているのですね。



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