10月の法話集 ~トイレのことを雪隠といいますが~


こんなお手紙をいただきました。
「将棋で、王将を盤のすみに追いこんで追いつめることを、雪隠詰めといいますが、聞くところ、雪隠は仏教のことばでトイレのことだそうですが、本当でしょうか?」
結論から申しますと、そのとおり、お便所のことを雪隠ということがあります。その由来をたずねてみましょう。
中国は宋の時代に、雪竇重顕というえらいお坊さんが、浙江省の霊隠寺というお寺で修行されていましたが、そのお寺の便所掃除の役を買って出て、いつでも便所掃除をされていました。
トイレのことをご不浄という方がいますね。その言葉どおり浄らかではないところ、誰も喜んで掃除をしようとはしません。それを、雪竇重顕というお坊さんは、いつでも、陰にかくれるようにして、人知れず便所掃除に励まれたのでした。いつしか、他のお坊さまたちが、こんなことを言い始めました。
「雪竇がいなければ便所をさがせ、便所は雪竇の隠れているところだ。」
やがて、便所のことを雪竇さんの隠れているところ、雪隠と呼ぶようになったということです。
雪竇さんの行いは、人知れず、便所を掃除することでしたが、このことを"陰徳をつむ"と申します。陰はかげ、徳は功徳の徳。"陰徳をつむ"ことは、み仏の教えにかなった尊い修行です。
おたくの雪隠をいつもきれいに掃除をして陰徳をつんでおられるのは、どなたですか。



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