11月の法話集 ~この体、鬼と仏があい住める~
昭和初斯の文豪、菊池寛の作品に『青の洞門』があります。大分県の海岸にあるトンネルからヒントを得て書いたと言われています。
昔、凶悪の限りを尽くした盗賊がいました。人を殺し、物を奪い、手のつけられない鬼のような人間でしたが、ある和尚さんの強い訓しによって、目覚めました。そうして今度は真人間になり、これまでの罪滅ぽしに、人々が難儀をしていた海辺の難所に、自分だけでトンネルを掘るのです。もちろんノミと槌だけですから、何十年もかかり、自分もついに目が見えなくなってしまいました。
これに似た話は、どこででもよく聞きます。さて、ここで問題です。あの凶悪な盗賊と命がけで洞門を掘った人と、どっちが本当の自分なのでしょうか。気持 ちから言えば、後の方にしたいですね。残念でした。それでは正解は、両方とも間違いなく自分です。盗賊も自分のしたことだし、トンネルも自分が掘ったので す。
「この体、鬼も仏もあい住める」と言います。
これほど極端でなくても、私たちの心は鬼にもなり仏にもなりますね。本当は仏だけだと最高ですが、そうはいきません。怒りに眼がくらみ、あれも欲しい、 これも欲しい、むりやり我を通す。このとき鬼になり、これらを離れて安らかなとき仏になります。私たちは少しでも仏に近づくよう努力しましょう。
でも、よく考えてみると、鬼と仏の両方を持っていて、ちょうどよいのかも知れません。
鬼がいるから仏が分かります。一歩でも仏の世界に近づくよう努力します。向上心が生まれます。ですから、私たちに鬼も仏も住まわせたのは、み仏の大きな恵みなのかも知れません。
お互い、鬼も仏もあい住めるこの体、いとおしいと思いませんか。大切にしましょう。
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