11月の法話集 ~まあ、お茶をー杯めし上がれ~
鎌倉時代のお話を聞いてください。
瑩山(けいざん)という禅の修行憎がおりました。毎日坐禅を組み、きびしい修行を続けています。
だんだん心が澄み切ってきて、お師匠さまの目にも、瑩山の悟りの時期が近づいてきたことが見えています。
少し前、彼は自分の心境を「夜、烏が飛んでいる」と表現しましたが、まだ不充分とお師匠さまに追い返されています。と、その朝、瑩山は静かに師匠の部屋に入ってきました。何か心に期するところがあるようです。
そこでお師匠さまは「仏の道とは何か」とたずねますと、瑩山は「毎日の生活、そのままが仏の道です」と、静かに答えました。すかさずお師匠さまは、「お前は悟った。よくやった」とおっしやいました。朝の光の中で庭先に小鳥が楽しげにさえずっておりました。
禅の世界では、まあ、お茶を一杯飲みなさい、とよく言います。あまり肩を張らずに、お茶でも飲んでリラックスしなさい、という意味もあります。しかし本当は、こうして一杯の香り高いお茶をいただくのも修行、と味わいたいものです。
瑩山が悟りの世界に入ったのも、これと同じことです。今まで悟りの境涯(きょうがい)は、別の世界とばかり考えていたのが、じつは私たちの生きている、そのままが悟りの姿だったのです。
禅の修行とは、挨拶が正しくできること、食事を感謝していただくこと、掃除がきれいにできること、など、毎日の生活を規則正しく行なう訓練です。だから特別の人にしかできないことではありません。誰でも、その気になれば必ずできます。あなたもさっそくやってみませんか。
まず、お茶をー杯めしあがれ。
11月の法話集一覧表へ戻る