11月の法話集 ~自己にかつもの~
先日、一人の大学生がやって来て、「仏教の数えの中に、試合に勝つ教えがありますか、あったら教えてください!」と問うのです。聞くと、大学で剣道をやっていて、自分としてはあまり強くはないんだけれど、こんど主将にまつりあげられたので、今度から負けるわけにはいかず、それで……、とのことでした。
はてさてと思いながら、『法句経』というお経の中から次の教えを示しました。
戦(いくさ)に出づる 千たび
ひとり 自己(おのれ)にかつもの
彼こそ 最上の戦士(つわもの)なり
青年はしばらく、ジッと考えていましたが、"自己にかつものか"とボソと言いました。青年は少し分かったようです。そこで、剣道にふさわしいたとえ話を話したのです。
宮本武蔵は、一乗下り松のところで、吉岡一族と決闘することになりました。戦場に出向くまえに武蔵は神社に参拝し、勝利を祈願しようとしますが、とっさにその思いを止めて、お堂につるされている鈴の紐をー刀のもとに切り落とします。決闘にのぞむ自分が、まだ何かに頼っている。これでは勝てない、と気づいたのでした。武蔵は、何かにすがりたいという思いをたち切り、無心で戦いにのぞんだのです。
ここまで話すと青年は、「フーッ」と大きな息をして「外の敵と戦うこともできるし、勝つこともできるかもしれないけれど、たった一人の自分に打ち勝つことはむずかしいことですね」というのです。
私は、思わず「そう、この教えの意味は、そのことを言っているんだよ」と青年の素直さに感動しながら言ったのです。
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