12月の法話集 ~なぜ煩悩は百八なのか~


もうすぐ除夜の鐘がお耳に届くことでしょう。
鐘の音は百八つ。煩悩の数であると言われます。なぜ百8つなのでしょうか。
煩悩とは分かりやすく言えば、愛着、執着のことで、自分にとって離しがたい、捨てがたい感情感覚なんですね。この原因は六根、つまり眼耳鼻舌身意にあります。眼で色を、耳で声を、鼻で香りを、舌で味を、身で感覚を、それ以外のものを意(こころ)で受けとるわけですが、受けとることによって感情が作用し、執着が生まれ、煩悩となるのです。
さて、まず、六根は六種あるわけで、六の数を頭においてください。その一つ一つが対象に出合う作用が始まり、好き、きらい、どうでもいい、の三種の感情が生まれます。たとえば、眼が花を見ると色を感じて、”まあきれ い。この花、好き”となったり、”いやな色ね、きらい”。また、”どうとも感じない”などの思いになりますね。 つまり六根に対してそれぞれ、三種の感情が生じますから、六根かける三種で十人の煩悩ということになります。
さらに、好きなことに接すれば楽しくなったり、嫌なものであったら苦しくなったり、どうでもいいなら苦でもなく楽でもない感情が生まれます。これまた六根にそれぞれ生じるわけですから十八の煩悩となり、先の十八と合わせて三十六になるわけです。そして、この三十六の煩悩が、過去においても、現在においても、未来世においても、つまり三世にわたって生じるという考えから、三十六かける三世分で、百八煩悩となるわけです。
煩悩を完全に打ち消すことはできません。けれど、煩悩にふりまわされないようコントロールすることはできます。その道を仏さまが示してくださっています。
どうぞ、仏さまの道にかなった日々の暮らしでありますように。
では、みなさん、よいお年をお迎えください。



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