12月の法話集 ~お茶碗の絵柄~


世界の教育功労者に与えられる"ペスタロッチ賞"を受賞された東井義雄先生は、小さなお寺のご住職であり、長年小学校の先生をなさっていました。
ある日、東井先生が子どもたちに問います。
「みんな、自分のご飯茶碗侍ってる?」
「待ってる!」と大きな声が返ります。
「では、どんな絵柄の茶碗か覚えてる?」……声がありません,
「なあんだ、毎日お世話になっているお茶碗が、どんな顔をしているか知らないのか、お茶碗、かわいそうだなあ!」
ここで、子どもたちはシーンとなりました。子どもたちだけではなく、同じ問いを、私自身にしてみたら……やっぱり、覚えていません。東井先生がこんな詩を作られました。

おとせばこわれる茶碗
おとせばこわれるいのち
でも それだからこそ
この茶碗のいのちが尊い
それだからこそ
このわたしのいのちがいとしい
こわれずに 今 ここにあることが
ただごとでなく うれしい
プラスチックのいのちでないことが
ただごとでなく ありがたい

毎日ご飯をいただくお茶碗の絵柄を、覚えていない。なんの気なしに使っています。本当は毎目顔を合わせる親しい間柄なのに……。同じようなことが、身の回りにいっぱいあるんですね。ともすると、大切な生命をいただいていることさえ忘れています。
東井先生の"ただごとでなくありがたい"という一言をかみしめてみたいと思います。



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