12月の法話集 ~無縁の大悲~


朝五時、駅前広場を掃除する一人のお年寄りの姿が今日も見えます。今年六十八歳になるKさんです。Kさんは六十歳のとき会社を退職しましたが、それから八年間ほとんど毎日、駅前の掃除をしているのです。
「私は二十歳のとき会社に就職しましたが、四十年もの間、この駅にお世話になりました。毎日毎日、朝夕この駅前広場を通りましたからねえ……。私を通してくれた駅前広場をいつかお礼のつもりできれいに掃除してあげたいと思っていました。それで定年退職をした次の日、通勤客がまだ通らない朝早く掃除をしてみたら、何だかそれが楽しくなって、毎日掃除せずにはおられなくなりましてね、とうとう今日まで八年間つづけてしまいましたよ。」
むろんKさんは何かを得たいとか、見返りがほしいと思って掃除をしているわけではありません。打算や損得の気持ちが少しもまじらないKさんのこの行いを、仏教では〝無縁の大悲〟と申します。
無縁とは縁がないこと、大悲とは大きな慈悲の意味で、全く見返りを計算に入れていない大きな愛情のことです。
つまり〝無縁の大悲″とは、これをすればこんなお返しがくるに違いないとか、そのうちみんなが私のことを認めてくれるだろうなどという打算や損得の気持ちとは全く無関係で、ただそれを行うことに喜びを感じ、安らぎを覚えることをいうのです。
ときおりKさんにたずねる人がいます。
「毎朝大変だね。だけど、いくらもらってるのー。」
こんなときKさんは明るくいいます。
「ああ、たくさんもらってるよ!お金では買えないものをね。」
Kさんの〝無縁の大悲″は今日もつづけられています。



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