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2004年 謹賀新年


清水誠勝


 新年といえば、いかにもさわやかで平和そのもののようでありますが、しかし現実にはそうもいかないきびしさである。
 個人個人がエゴのかたまりだから、社会も国も国家間も対立抗争におちてゆく。当然といえば当然だが、それだけになにかほっとさせられる話はないかと思う のである。お釈迦さまは無財の7施を説いて、つねにあたたかいまなざしで、やさしい言葉で、こころをこめて対応してゆけ、といわれるが、あたたかい言葉一 つさえ持続できないありさまである。そんなことを考えながら思い出すのは、ロシアの文豪ツルゲネーフのある日の感動である。ある朝、通りを歩いていると一 人の乞食に呼びとられた。 よぼよぼの老人であった。赤くただれた頬、青みがかった唇。見るもあわれな姿をみつめながらポケットに手を入れて次から次へと さぐったが、財布も時計もハンカチさえもなかった。
「おじいさん、ゆるしておくれ、ぼくはなにも持っていないんだ」途方にくれた彼は、そういって、汚れた、わななく老乞食の手を握りしめるほかはなかった。 すると乞食がいう。「旦那さま、なにをおっしゃいますか。私はこんにちまで、長い人生の裏道を遍歴してきたが、けさのあなたさまの握手ほど心にしみたもの はありません。ありがとうございます。」そういって、涙を浮かべ、汚れたしわくちゃの手で堅く握りかえしたのであった。家に帰ってツルゲネーフは、ただち にそのことをノートに書きとめ、「私はけさ、思いがけなくも尊い心の布施を受けた」と結んだという。荒れすさんだ、しらけた世の中だといって絶望すること はない。あたたかい対応の中から幸せの花は開くことを教えたものとして心に残る。
 布施行とは、よいことをして、そのことの中に意味を見い出して、あとを追求しないことだ、とお釈迦さまはいわれる。
    
  
  

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