其の十八
ギブラヤマダナスミスガイ | |
明治四年、イギリス軍艦「シルビア号』が日本海軍と共同で山田湾を測量、セレト・ジョン艦長が、貝や海草を採取、英国に持ち帰った。 大英博物館で貝類を担当していたE・スミスはこの中から一ツの貝に注目し、新種として自分の名前と「山田」の地名から「ギブラヤマダナスミスガイ」と学名をつけた。 山田町の郷土史家川瀬一郎氏が資料の収集に努め、国立博物館波辺博士の指導のもとに、宮古水産高校教諭川端信作先生の協力を得て捜し求め発見した。 波辺博士に鑑定を依頼、「間違いない」と断定、新しく「ヤマダ・シタタミ貝」と命名し、続原色日本貝類図鑑に掲載した。 川瀬一郎氏は、宮内庁を訪れ、国立料学博物館貝類室主査波辺忠重博士を通じ、天皇陛下に「ヤマダ・シタタミ貝」を献上した。 「ヤマダ・シタタミ貝」直径八ミリ程度、5巻の巻貝、表面は褐色と白の放射状斑紋があり、殻頂は白色、殻内面は青い光沢を帯びている。 現在、イギリス大英博物館別館自然博物館に展示されている。 (昭和四十二年六月二十五日、昭和五十四年七月三日付 岩手日報他を参考資料とした。) |
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