其の二十九
煩悩の計算の方法 | |
煩悩とは、インド古代のクレーシャを訳した言葉で「ひとの心をけがし、損なうもの」という意味です。悟りという理想へと進んで行くときのさまたげになる心の状態が、すなわち煩悩であります。 むやみにわが子をかわいがる親のことを子煩悩と申します。これは、子供は煩悩のもとであって、迷いも苦しみも子供がいるからだ、という意味であるともいわれています。 ところで、煩悩は百八もあるとされていますが、どうしてこのような半端な数字が出てきたのでしょうか。 人間には、眼・耳・鼻・舌・身・意の六つの感覚器官があります。 これらのうち「身(しん)」というのは、体、特に手足などであり、「意」とは心のはたらきをいうのです。以上の六つを六根(ろっこん)と呼んでいます。 これらによって、私たちは、色・声・香り・昧・触・法を理解します。「触(しょく)」は、手足でさわってみた感じだけでなく、例えば、暑さ寒さなど、体全体で感じとることも含まれます。かゆみや痛みも同様です。 「法」は、心で判断し、悟る、ということです。以上の六つを六境と呼び、六根の対象とします。 六境を理解したのちに、人それぞれが示す受けとめかたは、だいたい三つに分かれます。すなわち、好・平・悪(お)でこれらを「三不同」と申します。「好」はすき、「悪」はきらい、「平」はその中間で、どちらでもありません。 三不同の程度は、大きく分けて染と浄の二段階になります。「染」は、影響を受けるか、またはけがれること、「浄」は清められること 、と考えられています。ただし、この解釈には、異なる説もあることを申し添えておきましょう。 六根に始まり、三不同から染浄に至る作用は、すべて過去・現在・未来の三世にわたります。三世それぞれに煩悩があるわけです。 さて、以上のことを数で表すと、次のようになります。 6 × 3 × 2 × 3 = 108 (六根)×(三不同)×(洗浄)×(三世) 百八煩悩という計算を、おわかりいただけたでしょうか。 別の説によると、好き・きらい・どちらでもない、という三不同に、さらに三受(さんじゅ)というものを加えるのだそうです。三種の受けとめかた、受けいれかた、ということでしょう。 すなわち、楽・捨・苦で、楽しむか、苦しむか、どちらでもないままに捨ててしまうか、いずれかである、ということです。 この場合は、 6 × (3十3) × 3 = 108 (6根)×(3不同+3受)×(3世)となり、やはり百八となることに変わりはありません。 これらの説とはまったく関係なしに、一年の十二か月に、二十四節気と七十二候を加えて、百八と計算することもあります。 12 + 24 + 72 = 108 大みそかの夜に打ち鳴らす百八回の除夜の鐘は、いうまでもなく百八つの煩悩を清めるためのものです。特に、百七つ目は、ゆく年の最後に煩悩の火が消えたことを告げ、百八つ目は、新しい年を迎えて、煩悩にまどわされないよう、目を覚まし、心をしっかり保つように、と告げる鐘の音であります。 「龍昌」 平成6年 正月号より抜粋 |
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